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つらつら思ったコトアーカイブ

つらつら思ったコト

まあ、休めや。

  • 2007年9月12日 22:05

数日前にそれまでの文脈に対していささか唐突に、「職を賭して」なんて言葉が出てきた時に、あ、このおっさんやっと辞める気やなとはなんとなく思っていた。
とにかくせっせと逃げ道を作り始めたという印象。
もちろんまさかそれが今日とは思ってもみなかったわけだが。

誰もが口を揃えて「タイミングがおかしい」と言う。
明らかにそうなのだ。今であるはずがない、意味がわからない、とそう思う。
もちろんご本人もその周囲もそんなことは百も承知で、その上でこうせざるを得なかったというところに、心の深い闇のようなものを、ギリギリ感を感じる。
もうそれ以上、だったのであろう。
わかってるけどダメ、だったのだ。
朝青龍のハナシといい、そうした空気にまだみなさん不寛容なのね。
そりゃまあ、そうだとは思う。
一国の首相であり、国技の頂点であるわけで、その背にかかっている荷はあまりにも重い。
みんなからかけられている期待(諦めであるにしても)は、尋常でないのである。
だからそんなことを言ってもらっては(やってもらっては)困る、とみんな思うのだ。
寛容にはしていられない。
病気、と一言で片付けるには済まされない状況なのだろう。
でもねー、と思う。
がんばらなきゃいけない人ががんばれなくなっちゃったらとりあえずまず休むしかないんだろうね。
そうしないと負のスパイラルに本人もその周囲も巻き込まれることになる。
そんな気が非常に強くする今日この頃なのです。

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恐ろしい。

  • 2007年6月13日 23:38

ちょっとちょっと、今日の警察捜査記録winny流出事件って結構エラいことだと思うけど、あまり大きく扱われてないね。
ちらちらネット見てると、ヤクザの情婦リストに芸能人の名前が、とか、婦女暴行事件の被害者の個人情報と事件の詳細な記録が、とか、ちょっとヤバすぎて顔色を失うようなことが続々。
つい先日もwinny流出に責任を感じ自死した教師が出たが、取り返しがつかないといえば、これほど取り返しがつかないこともないからなあ。
途方に暮れる、を通り越した事態に現場(警察)ではなってるのではないか。
いやあ....。

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いっせーのー問題

  • 2007年4月19日 23:23

いや、驚いた。
昨日のエントリーで言い間違いなどと断定していたが、ぬめちさんのコメントによると、「いっせーのーれ」も「いっせーのーせ」も「アリ」らしい。
しかも「いっせーのーで」まであると云うが、確かにこれなら聴いたことがある。
多分、「いっせーのーれ」もこれまでに聴いたことぐらいはあるのだろうが、勝手に僕の脳内で「せ」に変換していたのであろう。
検索してみると、やはり地域差があるらしい。
たとえばこことか、こことか。
ちなみにGoogleでひっかかる件数としては今日現在で、
「いっせーのーれ」996件
「いっせーのーせ」1350件
「いっせーのーで」754件
となっており、「せ」が若干有利だ。有利? 何に。

「いっせっせーのせ」というのもあるよね。
これはさすがに「いっせっせーので」「いっせっせーのれ」はないでしょ。
しかし、確かにぬめちさんがおっしゃるように意味的には「で」が一番納得できるような気がするのだけども。その後になにか動作が続くという意味。断定の助動詞「だ」の連用形というところでしょうか。
一方、遊び唄で「せっせっせーのよいよいよい」ちゅうのもあるから、「せ」の場合はそっちとごっちゃになりつつ広まったのかしら。

これはしかるべき所ではちゃんと研究されておる問題なのであろうか。
情報求む。

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推敲

  • 2007年4月 5日 23:40

自分の書いた文章というものに対しては、常に何かもどかしいような、うまく書き表しきれていないような、不完全燃焼気味の思いがつきまとう。
何かほかにもっといい言い回しがあるのではないか、語順はこれで適当だったか、いつも気になりつつも、それを十分に吟味し直したりする手間をかけることがないまま、このように書き殴っているのが日々のことである。
つまりロクな推敲をしていないということ。
調子がいいときは、そのようなことに気を遣わぬまでも、そこそこ筋の通ったリズム良い文章を書ける時もごく稀にあるような気がするが、大半は読み返して気味の悪い思いをする。
昨日のエントリーとかも、非常にすっきりせずにさすがに少し手を入れたものの、うまく照準を合わせきれないまま書き出したのが不味かったのか、手を入れるぐらいのことでは座りの悪さは修復不可能。
戒めとしてそのまま放置することにした。
と、このようなことを書きながらも、この文章そのものもどうにもこうにも収まりがついていない。

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流れるままに

  • 2007年4月 1日 23:59

もう4月だそうで、つい先頃まで新春番組の録画をじりじりと消化していた身としてみれば、いい加減にしてくれと言いたくなるほどの時の流れの速さである。
時の流れの速さと言ったところで、歳を経るにつれそのように感じるようになってきたのだろうと納得させてきたのだが、いやどうも違う。

間違いなく時間が速く流れている。

一日が、一週間が、こんなに速く過ぎ去るわけがない。
といったところで、それは自分の中に流れる時間に過ぎないということなのだろうか。
仮に時間が速く流れていたとして、それを測定するメタ時間などというものはない。

たとえば幼き頃、眠れずにまんじりともせずに過ごした夜中の1時間は、いつ果てるともなき長さに感じたものだ。
または、深夜放送を聴き初めの中学生以前、「今夜もシャララ」が終ってから「オールナイトニッポン」が始まるまでの30分が長くて長くて持ちこたえられずに寝てしまったりとか。
今などは、横向いて瞬きしてお茶でも飲んだら30分1時間などあっという間に経ってしまうように感じている。
それは、幼き頃過ごした街に大きくなってから訪れた時、スケール感がまるで違って感じられるというのと、おなじ心理的な働きなのだろうか。
いや違う、やはり実際に加速しているんじゃないかという疑念がつきまとう。
だからそれが心理的なものなんだってと云われるだろうけども。

この分では、またたく間に桜が散り、新緑が芽生え、空に鯉のぼりが舞い、日差しが強くなり、そして新しく始まったTV番組は終っていくのだろう。

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恵方巻とあるある

  • 2007年2月 3日 23:34

節分である。
恵方巻という慣習がこの名古屋でも一般的になってきてから、まだ4~5年という感じである。
Wikipediaよると、セブンイレブンが初めてコンビニでの恵方巻全国販売をしたのが1998年で、続いてローソンが始めたのが2001年とのこと。
名古屋にセブンイレブンが進出したのはまだここ数年の話なので、やはり名古屋は他地域よりも一歩浸透が遅れていたのかもしれない。

どうにもいまだ違和感がつきまとう。
伝統的な慣習な筈なのに「新しい」んである。
知らぬ間に我が家でもこの2~3年、節分になると太巻きが登場している。
ウチの母親などはそういった行事系のことは一応やっておこうというタイプの人なので、いそいそとスーパーで買ってきては孫達に、ちゃんと恵方を向いて、食べてる間はしゃべっちゃダメよ、などとさも昔から自分も行ってきた習慣のように教え諭したりしているのだが、その実、こんなに大きいものを一本丸ごとは食べにくいからと、包丁で半分に切ったものを与えたりしている。
縁が切れるから包丁で切らずに丸ごと食べるのだという一方の言い伝えなどにはまるで無頓着で、そう指摘すると、だって食べにくいじゃないの、などとむくれている。
そのうち、助六みたいにぶつぶつに切られたものが皿にのって登場するのではないか、と心配するのだが、一応の型は守るタイプなので、半分に切ったぐらいの長さでマネゴトをするのが適当ぐらいに考えているようだ。

各スーパーのチラシに大々的に売り出しが報じられていたり、回転寿司屋とかでも、クリスマス時のケーキよろしく、寒風吹きすさぶ中、店頭販売したりしているのを見るにつけ、突然のように慣習化した「新しい伝統」にとまどいつつも、まあ、いつもながらのことだなあ、とも思ったり。
もう2週間も経たないうちに次の似たような、甘ーい行事が巡ってくるわけで。

『あるある大辞典』の件からまだ時期が近いせいか、こうしたことに「同じ匂い」を感じてしまったりもする。
どうも日本人は、と大風呂敷を広げてしまうのは柄にないのだが、この手の匂いに弱いようである。
というか、あの件に関しても、みんな実は「納豆でやせる」なんてことを本当に信じていたわけではなかったのかも知れないなあ。
仮に納豆を食べて痩せられなかったとして、本気で番組を訴えようなどと思った人が幾らかでもいただろうか。
軽い気持ちで御利益を求めていただけなんじゃないかね。「痩せたら儲けもん」と。
「本気で」信じてるわけじゃないけど、「なんとなく」御利益は期待する。
これが多くの日本人に共通する信仰のパターンなんじゃないかなあ。
もちろん何パーセントかの「本気で」信じてる人は存在するわけだけども。
数少ない「本気」の人だけでは、商売の旨味も少ないわけで。
「なんとなく」の人で、三が日の神社もあふれかえっているのだと思うし。

などということを、恵方を向いて太巻を口に咥えたままもやもやと思ったりしたのでした。

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残念な表現

  • 2007年1月29日 22:56

「産む機械」発言
いやこの「機械」とか「装置」とかって、「欲望する機械」とか「セクシュアリテの装置」とかのよーな〈高尚な〉表現として使ってるわけじゃあないようですなあ。
使いようによっては、ハイセンスで学術的となりうる表現も、文脈によっては単なるオッサン発言になるという例。

森高千里のファーストなんぞを突然。いやあ、ガキンチョの声ですなあまったく。面影ない、とは言わないけども。好きになったのは、ご他聞に漏れず『非実力派宣言』以降。
NEW SEASON

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そのまんまと昨日の続き

  • 2007年1月24日 21:56

そのまんま東さま、今更ながら当選おめでとうございます。
当選の是非はともかくとしても、選挙に立候補の時点で、「そのまんま東」という名前が選挙ポスターや宣伝カーに刷り込まれている映像を見て、なにかのバラエティの一場面じゃないかという感覚を多くの人が持ったことであろう。
個人的には、ビートたけしの壮大なギャグがここに結実した、という感想を持った。
例のフライデー襲撃事件の時に、東のみならず、「グレート義太夫」やら「大阪百万円」やらの人を喰った名前が、大新聞の社会面で報道されたりNHKのニュースでしかつめらしく読み上げられたりしたことの上をいく出来事である。
「東国原知事」ではなく「そのまんま知事」ということで『そのまんま』やっていただきたかったという意味では画竜点睛を欠くが、たけしが仕掛けた“弟子達につけた名前ギャグ”というプロジェクトが長い年月を経て、ここにめでたく発動したと思うのである。
でもまあ「横山ノック知事」という前例もあるから多分誰も驚かないんだよな。
ここはひとつ浅草キッドに頑張ってもらって、是非「玉袋筋太郎総理大臣」を実現してもらいたい。

昨日のサーバーの続きだけども、今日、どんなデータが300MB近くのスペースを占めているだろうかとふと気になって調べてみると、100MB以上がアクセスログであることが判明した。
アクセスログを残す設定にしたまま2年近く経過したため、このような事態になったらしい。
ほとんど利用しないし、ざっくりと消してしまうと、まだ半分ぐらい空きスペースがあることになり、たちまちのうちに問題は解決した。
恐るべしアクセスログ。
しばらくスペースのことは考えなくていいや。

久々にコレクターズを聴く。いいなあ。当時はそれほど入れ込まなかったアルバムだが、やはりいい。
COLLECTOR No.5 小西康陽プロデュース(紙ジャケット仕様)

 
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